創造主
創造主の理解
創造主とは何か ― 原初意識の仮説
私が語る「創造主」は、宗教的な神とは異なります。
この本で扱うのは、宇宙の始まりを考えるための科学的仮説としての創造主です。
本書の目的は、アイデア発想のためのひらめきの活用方法を解説することです。
そのためには、ひらめきの性質、ひらめきとの出会い方法、ひらめきの場所を知り、なぜ人間はひらめきから知恵を得られるのか、なぜ日本が知ることができるのかを知る必要があります。
ひらめきは人類のために存在していることの謎を知らなければならないのです。
しかし、科学では解明できません。
私は30年以上ひらめきを扱ってきた経験から謎を仮想科学で解説します。
仮想科学とは科学で解明できない現象を、経験と常識と仮説で組み立てた科学です。
科学で解明できない、哲学的、スピリチュアル的な現象を科学的志向で解説します。
一般的には「思考は脳で行う」と教えられてきましたが、最新の医学では「脳は臓器であり、思考は行わない」ことが解ってきました。
およそ100年前から始まった量子力学も、見えない世界の研究が主力になっています。
やっと、謎の研究が始まったのです。
しかし、「ひらめき」や「見えない宇宙の力」は謎がいっぱいで、仮想科学でなければ説明できないのです。
宇宙が1点から始まったことは科学でも定説になっています。
1点から広がった宇宙は、形が変わっただけで同じ存在です。
小さかったあなたと現在のあなたが同じ人であるようにです。
宇宙の構造も生物も人類も、形が変わっただけで、ひとつの宇宙です。
だから、あなたも宇宙の一部なのです。
解りやすく例えるなら、創造主が全身で私たちは小指のような存在です。
この事は科学で証明されてはいませんが、物理的に考えても疑いのないところです。
このことは、ひらめきを学ぶために認識しなければならない「第一の魔法」です。
宇宙にも地球にもいろいろなものが存在しますが、すべて同じ原子か集まって構成されています。
ある原子は太陽になり、ある原子は人間になっているのは、設計図があるからでしょう。
同じ形のレゴブロックが、自動車になったり、家になったりできるのも正確な設計図があるからです。
設計図は全体の計画を持っている存在がいることを示しています。
本書では、この存在を解りやすくするために「創造主」と呼んでいます。
決して、宗教的な意味ではありません。
私は、ひらめきの仕組みを探る中で、人間の発想力の背後には、人間を超えた知性=創造主の意志があるのではないかと考えるようになりました。
世界のなかの宇宙は、わずか5%でしかありません。しかも人類は5%の中のほんの一部でしかありません。
創造主は世界の100%の存在なので、人類が知るにはあまりにも偉大すぎます。
完全で、動かない意識の存在
想像してみてください。
もし「完全で、無限の知性」を持つ存在があったとしたら、そこには物質も、時間も、欲求も一切必要ありません。
なぜなら、足りないものないのです。欲求は「何かが足りないから」生まれるものです。
私の仮説では、この創造主は「空(くう)”のような存在」です。
動かず、変化もせず、ただ無限に在る存在。
しかしあるとき、その“完璧な静寂”の中に、自己成長への欲求が生まれます。
創造主の意識が動いたのです。
これが、すべての始まりでした。
宇宙を理解するために、もっとも大事なことですが、科学はこのことを追求しません。
普通の感覚で考えれば、当たり前の疑問を科学という分野では見ないふりをするのです。
私は、創造主の存在を無視してでは、宇宙も人類も解明できないと考えます。
「タマゴとニワトリはどちらが先に誕生したのか?」という科学の疑問があります。
答えはニワトリだと考えます。
理由は「ニワトリがいなければタマゴは産まれない」からです。
でも、タマゴがなければニワトリは生まれないと考える人もいるでしょう。
これが宇宙の謎です。
人間はどうやって産まれましたか?
父親と母親がいて、産まれたのです。
地球上の生物の殆どが、ある一時期に一斉に誕生したことが解ってきたのです。
現在「進化論」も「系統樹」の怪しくなってきたのです。
科学とは、このように観察器機の発展で、新しい事実が発見され、次のステップへと進んでいくものです。
だから、科学とは常に変化するもので、科学的とは里程標(マイルストーン)なのです。
自己分節と宇宙の設計
創造主は、ひとつの欲求を持ちました。
それは、自己実現の欲求(Self-actualization)です。
マズローの欲求の最上位にある「自分の可能性を最大限に発揮したい」という欲求です。
自分を限界まで完成させたいと考えたと思います。
完全な創造主にとっての欲求は「自己完成」以外には存在しないのです。
余談になりませが、私たちの「自己中な性格」は創造主から受け継いだものだと考えます。
唯一の存在だから、自己中でしかあり得ないのです。
目覚めた創造主は、赤ん坊のような存在だったと思います。
世界はまだ存在していません。創造主は意識を持った無限のエネルギー体です。
物質は存在していないから、物質的欲求はありません。
お腹も空きませんから、食欲もありません。
完全体だから、友達も必要と思いません。
すべてにおいて、無限の存在だから一切の欲求はないのです。
無限について説明します。
例えば、目の前に火の付いたローソクがあるとします。
ローソクが燃え尽きたときに、火は消えます。
これは、私たちが考える有限の世界です。
有限とは、有るものが、なんらかの理由でなくなることをいいます。
一方、無限とは、有るものはいつもでも有ることをいいます。
不思議に思える無限ですが、無限の方が自然で、有限は異常なことだとわかります。
だから、創造主の無限性は自然なのです。
創造主は知恵を使う必要もなかったので、赤ん坊のように知恵はありません。
でも、知恵が必要だと思ったときには、無限の知恵が出てくるのです。
時間も存在していないので、一瞬にして無限の知恵が現れたと思います。
「自分を完成するために何が必要か?」
無限の存在だから、必要なものはすべて現れます。
ここで、創造主に変わって、自己完成するために何が必要かを考えてみましょう。
その答えは、「愛・犠牲・繁殖」だったと私は考えます。
つまり、自己完成するためには、自分以外の存在が必要なのです。
私たちが、人格と思えるものと同じだと思います。
美しく、素晴らしい人格とは、大切なもののために自己犠牲を問わないことです。
そして、それを実現し、更に高まるものは「愛」です。
つまり、他者がいて初めて可能なことです。
創造主は完全な計画を立てました。
創造主はすべてを備えた完全な一体存在です。
最終的目的は自己完成、完成した創造主です。(重要)
体験するために必要な物質世界の創造です。
創造主は、計画を実現するために、自らを分けることを決意しました。
これを私は「自己分節(じこぶんせつ)」と呼んでいます。
宇創造主は自らを犠牲にして、物質を生み出した。
物質は、やがて宇宙になった。
次に、男と女が暮らす地球を完成させた。
地球には、宇宙の摂理や生き方などの答えを自然界に潜ませた。
発展に必要な物質も潜ませた。
そして、地球を守るために太陽系を作り、銀河の安全な場所に置いた。
地球の安全を保つために、宇宙のバランスを整えた。
こうして、創造主は自己犠牲を体験し、宇宙を創造した。
自己犠牲を覚悟しても行動が尊いという考えは、ここから生まれたのかも知れない。
自分自信をふたつに分けて、男と女を創造した。
これは、創造主がはじめて行った創造という最高の喜びの行動です。
創造主は、自らを“男と女”に分け、“親と子”という関係を設計しました。
愛し合い、育て、命を繋ぐ体験を得るために。
その舞台として、地球という環境が構想されました。
人間が学び、愛を知り、進化するための“知的体験空間”として。
宇宙とは、このプロセス全体を支える“構造の器”だったのです。
自己犠牲から始まった創造
ここで重要なのは、創造主が「物質世界を創る」ために自らを分節したこと。
これは、**初めての“自己犠牲”**でした。
自己を「ひとつの全体」から「無数の部分」へと変える。
これは、完全体の意識にとって、とてつもない挑戦だったはずです。
その犠牲を払ってでも、“愛”と“共鳴”の体験を得ようとした。
私は、これこそが人間が「ひらめく力」を持つ理由だと考えています。
私たちは、創造主の一部であり、その本質的な意志を“意識”として受け継いでいる。
だからこそ、あるとき突然、「自分を超えた答え」が心に浮かぶのです。
人類が創造主に近づくために
この世界には、驚くべき共通性があります。
自然界の法則、数のパターン、生命の設計――それらはあまりに精密で、まるで人間がいつか理解できるように作られた設計図のようです。
私はそれを、創造主が人類に与えた「メッセージ」だと考えています。
人間が発展し、学び、やがて創造主の本質にたどり着けるように。
そのために、宇宙も、地球も、人間の意識も、すべてが設計されたのではないでしょうか。
🔷【不思議な実体験から】
ある日、顔について考えていたとき、ふと気づいたのです。
世界には80億人以上の人がいますが、「顔」というシンプルなパーツの組み合わせだけで、80億通りの個性が存在する。これは偶然の産物ではなく、意図された「個性の設計」だと直感しました。
同じ人がひとりとしていないという事実に、「創造主の無限性」を感じたのです。科学ではまだ説明できない気づきかもしれませんが、私にとっては深くつながった瞬間でした。
まとめ:創造は“分かたれること”から始まる
創造とは、統一されたものが、あえて不完全に分かれることから始まります。
人間もまた、完全ではありません。しかしそれは、偶然や欠陥ではない。
創造主が自らを分け、進化の喜びを体験しようとした“愛のプロセス”なのです。
そして、その一端に私たちがいる。
この仮説が、あなたのひらめきを深く理解する助けになれば幸いです。


